「誤解です、殿下。デイモンド伯爵は、オスティン帝国の貴賓です。私は案内役として付き添っているだけでございます」
「貴様、オレに口答えする気か!」 「そうではございません。本日は別の公務があるからと、お客様の案内を私に任せて下さったのは、他ならぬ殿下ではありませんか」 「俺が命じたのは、皇太子殿下の案内だけだ!」 レオナールは、平気で言ってもいないことを口にする。 よほどこの状況が腹立たしいのか、醜く顔を歪めて、激昂した。 「貴様はオレの目を盗んで男を漁り、庭園に引き込んだのだろうがッ!」 「なッ!?」 レオナールの台詞に、エマは青ざめた。 エマを侮辱するその言葉は、同時に、ルシアンをも侮辱している。 だが、レオナールはエマを攻撃するためだけに、デタラメを並べて糾弾した。 「男と見れば見境なく媚を売る、節操を知らぬ下賤め!」 「で、殿下……っ」 顔色を失い、言葉をつまらせるエマに、レオナールは唇を歪めて、嘲笑する。 「少しはカミラの慎み深さを見習ったらどうだ?」 「まあ、レオ様ったら」 艶のある声が、場違いに笑い声を上げる。 レオナールを愛称で呼んだのは、カミラ嬢だ。 白い肌に亜麻色の髪を波打たせ、涼やかな光を湛えた青いドレスを身にまとっていた。公爵令嬢に相応しい優雅で華やかなドレスの胸元には、大粒のサファイアがきらめいている。 彼女はわざとらしくレオナールの肩に身を預け、甘えるようにその腕にしなだれかかる。 「『聖樹』様も、帝国のお客様に請われたら、従うしかありませんわ。そんなふうに仰っては可哀想ですわよ」 「ふんっ。コイツは自ら進んで媚びを売るような奴だぞ」 「あら。『聖樹』様は、神殿で育ったのですから、外のお客様が珍しいのでしょうね。少しばかり浮かれても、仕方ありませんわ」 「おお、カミラは優しいな」 レオナールは感激したようにカミラ嬢を見つめる。 そして、エマを一瞥すると不快「今はその令嬢との公務中ですか? ですが、こちらを優先して頂けると助かります。王子がご案内して下さるなら、イーリス殿の案内は不要です」 「ふんっ! オレは忙しいのだ。案内は庭師に任せれば良かろう!」 「そうは参りません。王妃殿下は、ティエリー様に株を分けて下さると仰ったのです」 「?」 ルシアンの言葉に、レオナールは眉をひそめる。だが、何を言われたのか、まったく理解してないようだ。 「王子。私はティエリー様……オスティン帝国、皇太子殿下の遣いで、この場にいるのですよ」 「だから何だ?」 ここまで言っても状況を把握できないレオナールに、ルシアンは笑顔ですごんだ。 「ティエリー様は、王妃殿下のお申し出をありがたく受け取り、直に伺う予定でした。ですが、あいにくティエリー様はとてもお忙しいのです」 そう言って、カミラ嬢に視線を移し、冷めた目で微笑む。 「王子もお忙しいようですので、庭師を付けて頂ければ結構です。もちろん、ティエリー様には、王子が居合わせたにもかかわらず、案内を断られたと、ご報告させて頂きますが」 「!?」 レオナールの顔色が変わった。 ここでようやく、自分が皇太子の遣いに対して、無礼な態度を取ったことに気付いたのだろう。 「ま、待て! それなら案内を付ける! おい、空いてる補佐官を呼べ!」 レオナールは背後に控えていた秘書官へ命じた。 慌ただしく去って行く秘書官を横目に、エマはそっと肩を落とす。 (せっかく、ルシアン様とお話していたのに) レオナールは、エマがルシアンの案内役を務めていたことがよほど気に食わないようだ。 新しく補佐官がやってくれば、エマは引き下がるしかない。 エマは残念な気持ちを胸に隠して、レオナールの前に進み出た。軽く膝を折り、頭を下げる。 「殿下。デイモンド伯爵に正式な案内役を付けて下さるとのことですので、私は下がらせていただきます」 「当然だッ」 レオナールはエマの手を乱暴
「誤解です、殿下。デイモンド伯爵は、オスティン帝国の貴賓です。私は案内役として付き添っているだけでございます」 「貴様、オレに口答えする気か!」 「そうではございません。本日は別の公務があるからと、お客様の案内を私に任せて下さったのは、他ならぬ殿下ではありませんか」 「俺が命じたのは、皇太子殿下の案内だけだ!」 レオナールは、平気で言ってもいないことを口にする。 よほどこの状況が腹立たしいのか、醜く顔を歪めて、激昂した。 「貴様はオレの目を盗んで男を漁り、庭園に引き込んだのだろうがッ!」 「なッ!?」 レオナールの台詞に、エマは青ざめた。 エマを侮辱するその言葉は、同時に、ルシアンをも侮辱している。 だが、レオナールはエマを攻撃するためだけに、デタラメを並べて糾弾した。 「男と見れば見境なく媚を売る、節操を知らぬ下賤め!」 「で、殿下……っ」 顔色を失い、言葉をつまらせるエマに、レオナールは唇を歪めて、嘲笑する。 「少しはカミラの慎み深さを見習ったらどうだ?」 「まあ、レオ様ったら」 艶のある声が、場違いに笑い声を上げる。 レオナールを愛称で呼んだのは、カミラ嬢だ。 白い肌に亜麻色の髪を波打たせ、涼やかな光を湛えた青いドレスを身にまとっていた。公爵令嬢に相応しい優雅で華やかなドレスの胸元には、大粒のサファイアがきらめいている。 彼女はわざとらしくレオナールの肩に身を預け、甘えるようにその腕にしなだれかかる。 「『聖樹』様も、帝国のお客様に請われたら、従うしかありませんわ。そんなふうに仰っては可哀想ですわよ」 「ふんっ。コイツは自ら進んで媚びを売るような奴だぞ」 「あら。『聖樹』様は、神殿で育ったのですから、外のお客様が珍しいのでしょうね。少しばかり浮かれても、仕方ありませんわ」 「おお、カミラは優しいな」 レオナールは感激したようにカミラ嬢を見つめる。 そして、エマを一瞥すると不快
「ルシアン様は、遺跡に興味がおありですか?」 「ええ。アカデミーに在籍していた頃は、遺跡調査に参加したこともあります」 ルシアンの声が弾んでいるように聞こえて、エマは嬉しくなった。 (王都から離れた場所だけど、ルシアン様を案内できたらいいのに) もし、ルシアンと一緒に出かけられたら、どんなに楽しいだろう。 「今回の滞在では日程が厳しいですが……遺跡は、ぜひ見てみたいですね」 「はいっ! もし機会があれば、その時はご案内させて頂きますっ」 エマは勢いよく答えたが、すぐにハッと思い出す。 「ぁ、でも……ワイール領は、殿下の直轄領ですから……私がご案内させて頂くのは、難しいかもしれません」 (僕が領地に足を踏み入れるのも、きっと嫌がるだろうし) エマは残念な気持ちで肩を落とした。 そんなエマに、ルシアンは優しい声で囁く。 「では、いつかセフォルト領に、案内して下さい」 「っ! は、はい!」 社交辞令だったかもしれないけど、エマは嬉しくて何度も頷いた。 それからも、ルシアンと一緒に奥庭園を見て回った。 ちょうど、西殿の近くまで来たときに、遠くに白い建物が見えた。 「あの建物は何ですか?」 「あちらが、西殿になります。聖樹と、ベータの女性しか入れない場所です」 「そういえば、男子禁制でしたね」 「はい」 「エマの部屋は、どの辺りですか?」 「えっと……琥珀の館は、あの辺りでしょうか」 エマは少し躊躇ったが、館がある位置を教えた。 本当は、他国の人間に西殿の中の様子を話すのは禁じられている。 だが、重要な機密というわけでもない。 建物の外では騎士がつねに聖樹たちの行動を監視しているし、中では女性騎士たちにいつも見張られている。 それにエマは、離れに軟禁されているのだ。 「貴方の部屋からも、この庭園の様子が見られるのですか?」 「あ、少しだけ見えます。生
それでも、ルシアンへの思慕を隠すことができなくて、エマは真っ赤な顔で俯いた。 「エマ」 「は、はいっ」 「この前案内してくれた紅薔薇(べにばら)離宮は、とても見事でした」 ルシアンが気を利かせて、話題を変えてくれる。 エマは赤い顔を気にしつつ、それに答えた。 「あ、はい! あの離宮は本当に素晴らしくて、何度訪れても、魅入ってしまいます」 エマも、紅薔薇離宮を初めて訪れたときは、感激した。 十四歳で王宮に来て、西殿(さいでん)で暮らしていた頃は、何かの折りに付けて、よく足を運んだものだ。 けど、レオナールの婚約者に選ばれ、琥珀の館に移ってからは、離れに軟禁されて自由に出歩くことができなくなった。 だから、先日久しぶりに訪れた紅薔薇離宮は、エマにとっても楽しい時間だったのだ。 ルシアンも紅薔薇離宮を気に入ったのか、感心したように話し出す。 「特に、宝石で造られた薔薇には驚きました。噂には聞いていましたが、あれほどの規模とは思いませんでしたから」 「はい。高名な建築家や芸術家の方々が、何年も掛けて作り上げた芸術品ですから」 「宝石は、すべてランダリエで採れた物を使っているのですか?」 「全部ではないですが、サファイアとルビーだけは、国内の鉱山で採れた物を使用しています」 エマは胸を張って答える。 ランダリエ王国の鉱山のサファイアとルビーは、高品質の原石が多く採掘され、高値で取引される。 オスティン帝国には、毎年一定量の鉱石と金を献上しているが、サファイア原石のランクは、最高、もしくは高級ランクの原石ばかりだった。 加工技術も発達している為、ランダリエの宝飾品は外国でも評価が高いのだ。 「それは素晴らしいですね。あのような最高品質のサファイアは、どこの鉱山でも採れるのですか?」 「いえ、限られた鉱山になります。最高品質となると……カースレーン領でしょうか。あ、ワイール領も最高品質のものが採れるのですが……」 「そちらは
「ぁん、ルシアン様っ」 「もっと、貴方の顔を見せて下さい」 「わ、私の顔……?」 「言ったでしょう? 貴方は、私の美しい薔薇だと」 「ッ!」 「私を見てくれると、嬉しいのですが」 「ぁ、っ……はい。ルシアン様」 きっと、顔が真っ赤になっている。 だけど、ルシアンに請われて、否とは言えない。 エマはドキドキしながら、ルシアンの端整な顔を見つめた。ルビーのようにきらめく瞳も、陽に透ける銀の髪も素敵だ。優しい眼差しに、胸が焦がれる。 うっとり見惚れていると、ルシアンが口元を緩めた。 「エマ」 「はい」 「先日は、とても素敵なお守りをありがとうございました」 「えっ? あ、あのお守りですか?」 「ええ。とても愛らしい文字で書かれていて」 「ぁっ……簡単なものしかお渡しできなくて、申し訳ないくらいでしたのに」 「貴方の祝福が込められているだけで、十分に素晴らしいものです」 ルシアンの温かな声に、頬が緩む。 お礼を言ってもらえるとは思ってなくて、エマは胸がいっぱいになった。 「ありがとうございますっ。ルシアン様」 お世辞だとしても、すごく嬉しい。 「エマ」 「はいっ」 ルシアンが、そっと顔を近づけ、小声で尋ねた。 「エマは、私を想いながら、書いてくれたのですよね?」 「……はい」 コクンと頷き、ルシアンを見つめる。 煌めく赤い瞳に、胸の高鳴りが大きくなった。 ルシアンは甘い声音で、美しく微笑む。 「エマの優しい想いが伝わってきて、嬉しかったですよ」 「はぅっ!」 ドキンッと鼓動が跳ねた。 腰が甘く痺れて、蕾がクチュリとひくつく。 (うぅ……ルシアン様の甘い声と微笑みだけで、感じちゃうっ!) 恋い慕うアルファに、オメガの躰はたやすく反応してしまう。 けれど、ここは昼間
「今日も、まだ具合が良くないようですね」 「えっ、あ、その……」 誤魔化そうとしたが、ルシアンの瞳に見つめられると、嘘は言えない。 エマは小声で答えた。 「少し、微熱がありまして……」 「昨日も公務だったと伺いましたが。働きすぎではないですか?」 「いえ、そんなっ。薬も飲みましたし、大丈夫ですっ」 王太子の計らいで公務ということになっているが、実際は休みを頂いたのだ。客人であるルシアンに本当のことは言えないが、エマは大丈夫だと笑顔を見せた。 しかし、ルシアンは軽く首を振って、小さく息を吐いた。 「無理をして悪化したらいけませんから。今日は王都へ出かけるのは止めにしましょう」 「ぁ……あの、私なら平気ですっ。これくらいの熱は、慣れておりますので」 「いいえ。駄目ですよ」 ルシアンは微笑みながらも、きっぱりと言った。 (どうしよう……) 体調管理もできず、熱があるのを見抜かれて、気を遣わせてしまうなんて。 接待役として失格だ。 (ルシアン様も、僕のこと呆れちゃったかも) しゅん、とうなだれるエマに、ルシアンの優しい声が届く。 「今日も、王宮の庭園を案内してくれますか?」 「えっ?」 「たしか、奥庭園があると伺いましたが」 「は、はいっ!」 優しい眼差しに、胸が温かくなる。 (ルシアン様と一緒にいられる!) エマは嬉しくて、顔がにやけそうになった。 「私がご案内させて頂きますっ」 「お願いします」 エマは大きく頷き、さっそく奥庭園へ向かうことにした。 +++ エマがルシアンを案内したのは、奥庭園だ。 先日案内した王宮庭園より規模は小さいが、王族や聖樹の為に作られた庭園なので、ランダリエの貴族でも容易に